清水沢駅 [夕張線の駅へ行こう]
「プァ~~ン」
遠くからタイフォンの音が、聞こえて...
来ました!キハ40 3連が清水沢駅に到着しました!
そして、発車!
「グォォォォ~~~」
「ゴォォ.....」
では、改めて、やって来たのは清水沢駅(しみずさわ)です!
大きめの駅舎です!
明治44(1911)年6月から昭和62(1987)年7月までの間、三菱石炭鉱業の大夕張鉄道が、清水沢駅と大夕張炭山駅との間の9駅を走っていました
駅舎が大きいのは、炭鉱線接続の役割をしていたからです
大きな屋根は片屋根に見えますが向こう側にもあるので三角屋根です
駅名の由来は志幌加別川鉄橋付近に清水の湧き出る所があり、ここから清水の沢と称したそうです
現在は椅子が少なめですが、炭山最盛期時は広い駅舎内に、長い木製腰掛があって
炭鉱マンの方達が腰かけていたのだろうな...と、思いました
たくさんの写真が夕張線を表現されていました
有人駅時の窓口跡
高級の石台が使われていたのですね
清水沢駅にもたくさんのメッセージが書かれていました...
改札口から遠くにのりばがあります
外に出ると、鉄道模型ストラクチャーでしか見たことが無いものが??
たぶん炭鉱地でしか置いてないこの設備はどのような役目だったのでしょうか...?
駅舎からホームまで距離があるのは大夕張鉄道路線と石勝線路線と引き込み線などを
合わせて7路線がここにあった名残です
駅舎からホームまで距離があるのでホームにも待合所があります
頑丈そうですが取り壊されるのでしょうね
駅前通りは車道がすぐそばにあり車通りは多かったです
大きい...清水沢駅でした...
遠くからタイフォンの音が、聞こえて...
来ました!キハ40 3連が清水沢駅に到着しました!
そして、発車!
「グォォォォ~~~」
「ゴォォ.....」
では、改めて、やって来たのは清水沢駅(しみずさわ)です!
大きめの駅舎です!
明治44(1911)年6月から昭和62(1987)年7月までの間、三菱石炭鉱業の大夕張鉄道が、清水沢駅と大夕張炭山駅との間の9駅を走っていました
駅舎が大きいのは、炭鉱線接続の役割をしていたからです
大きな屋根は片屋根に見えますが向こう側にもあるので三角屋根です
駅名の由来は志幌加別川鉄橋付近に清水の湧き出る所があり、ここから清水の沢と称したそうです
現在は椅子が少なめですが、炭山最盛期時は広い駅舎内に、長い木製腰掛があって
炭鉱マンの方達が腰かけていたのだろうな...と、思いました
たくさんの写真が夕張線を表現されていました
有人駅時の窓口跡
高級の石台が使われていたのですね
清水沢駅にもたくさんのメッセージが書かれていました...
改札口から遠くにのりばがあります
外に出ると、鉄道模型ストラクチャーでしか見たことが無いものが??
たぶん炭鉱地でしか置いてないこの設備はどのような役目だったのでしょうか...?
駅舎からホームまで距離があるのは大夕張鉄道路線と石勝線路線と引き込み線などを
合わせて7路線がここにあった名残です
駅舎からホームまで距離があるのでホームにも待合所があります
頑丈そうですが取り壊されるのでしょうね
駅前通りは車道がすぐそばにあり車通りは多かったです
大きい...清水沢駅でした...